塩は悪くない

今年は赤子のお世話もあるし・・・、と
毎年作っている梅干しも5㎏程にしていたのですが、
知り合いから「この梅で梅干し作ってくれや」と頼まれ、
無農薬梅16㎏(と、赤紫蘇まで)貰ってしまいました。。。計21㎏の梅仕事。

いくらずっと家に居てるったってー・・・


私も赤ちゃんを迎えるまでは、こんなに大変って思って無かったもんなぁ。
今までだったら超嬉しかったんだけど。
こういうの、やってる当事者にしかわからないんだよなぁ~。。。
お母さんはエライ!(自分で自分を褒めよう♪(笑)




梅干しも「減塩」「減塩」ってうるさく言われたりするけど、私の梅干しは塩きつめです(キッパリ)!

減塩している人に限って、砂糖は摂り放題だったりするんだよなぁ。
ちなみに、一日の砂糖摂取限界は25g。パン&ジュースの食事で即アウトだよ!

本物の梅干しや味噌の塩分を気にして食べないなんてナンセンスです。
疲れた時に塩分を控えると、甘みに走りやすいけど、それが甘党になる引き金ですぞ。
甘党になるとロクなことが無いのは、私が証明済みです(^_^;)




どうして塩が悪くさせられたのか、わかりやすく書かれた本があります。
ちょっと長いけど、引用させてもらいます。



『現代版 食物養生法』鶴見隆史
・・・p.184~・・・

塩=高血圧の原因=悪い物質といわれるようになりました。それが、もしかして偏見に満ちたものであるかもしれないとか、間違ったものであるかもしれないとかは少しも思わず、人類はそれをきわめて単純に信じ、簡単に評価を下したのでした。「塩こそ高血圧のもとであり悪いやつだ」と。
 しかし、戦後のそのおかしな実験、統計、調査が発表されるまで、人類は何の疑いもなく、塩を摂り続けてきたのです。むしろ塩がどれほど大事で必要かということを人類は自然に感じ生きてきたという気すらします。戦後まで人類は長いこと塩を大切に思い、塩のありがたさ、塩の恩恵を至るところで歴史の中に記し、残してきました。そのいくつかを報告します。

 ○大昔の古代の人々は、塩のある所に群れをなして村をつくった。

 ○海から遠い地域に住む人は塩を貴重品として扱った。

 ○ローマ時代の兵士の給料は塩であった。そのことから、Salt(塩)がSalaryとなり、給料のことをサラリーというようになった。

 ○六世紀頃の砂漠の商人にとっては、塩は金と同じほどの価値があった。

 ○ルイ十六世の頃、塩の税が高くなりそれが不満となって、フランス革命の引き金となった。

 ○一九三〇年頃のインドでは、英国が塩にあまりの税をかけたので、マハトマ・ガンジーは自分達の手で塩をつくろうといって遠い海岸まで塩の行進をした。

 ○中国・前漢書「食貨志」には、「夫レ塩ハ食肴之将ニ酒ハ百薬之長ナリ」と記されている。
   この意味は山海の珍味がいくら沢山並んでいても一番最高の食べ物は数々のご馳走ではなく、塩こそ最高のまさに大将と呼ばれるものである。酒も同様、百薬の長であるという意味(もちろん現実的には、酒は毎日大量に飲んでいいわけはありませんが・・・・・・)。

 ○「敵に塩を送る」」という言葉は塩の大切さを表す。
   この言葉は、武士道精神の美談として語り継がれている。戦国時代、武田信玄は今川氏真と北条氏政の連合軍により「塩止め」にあい、大変困ったが、そのとき長年の仇敵上杉謙信は信玄に同情し、このときばかりは、塩を送って救った。当時、塩ほど大事な生活必需品はなく、この話は美談として語り継がれている。

 ○忠臣蔵のおおもとの原因は塩だった。
   赤穂の浅野家も、三河の吉良家も「塩田」を産業の目玉として栄えていた藩であった。吉良家の塩田のほうが、浅野家より一〇〇年も早く塩田をつくって栄えていたが、後に塩田を導入した浅野家のほうに新しい技術が生まれ、より優れた塩が製造できるようになった。そこで吉良家はその技術を教わろうと浅野家に製塩技術の援助を申し入れたという。
   ところが、ドル箱の製塩技術はいってみれば企業秘密であったため、吉良家の申し入れを断った。そこで吉良家はスパイを何人も送り込んだが、そのつど捕えられ殺された。そういったことから、吉良上野介は、浅野内匠頭を恨み、その結果、松の廊下の刃傷となった。これがいわゆる忠臣蔵に至る引き金だったわけである。つまり、塩が原因であったということ。

―(中略)―

 結局、戦後この大切な物質は、とんでもない統計と実験で高血圧の犯人とされ、大変な誤解を生み突然悪者にされ、忌み嫌われるほどになってしまいました。

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